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まさかの自分でやってみた、ここでキスしてな成長鏡音。レンリン。18歳くらい。

 例えば教室の窓際でヘッドホンをして、そこから流れる音楽に耳を傾けてみる。
 教室の人影は既に疎らで、夕焼けに色を変えつつある日差しが、カーテンの裏側に黒い影を延ばしていた。こんな時、自分一人だけが置いていかれてしまったような、虚無とも呼べるべき感情がぽつりと心臓に染みを落とし、訳もなく淋しさが込み上げる。

 つまるところ、成長が恨めしいのです。
 かつては同じ所にいたと思っていた存在に、見る間に置いて行かれてしまう恐ろしさ。早々と追い抜かれた背丈に限らず、微かな微笑みの具合から、伏し目がちな睫毛の見る先。追い縋る言葉の節々までもが、ここにぽつりと取り残されてしまった。
 物理的な距離ではちっとも昔と離れてはいないのに、歩幅が違いすぎてそれすらすぐに置いて行かれてしまいそう。

 「リン」

 そんなあたしの憂鬱に、気付きもしない柔らかさを含んだ声音が耳に痛かった。
 ヘッドホンを外し、首に掛ける。机の上に置いたきりの、小さなリボンの付いた白いヘアバンドを、何と無しに指先でいじくった。

 「帰ろう」

 分かってるったら。だからそんな離れた所で、わざわざ声を響かせないでよ。かつての甘酸っぱいキャンディみたいなボーイソプラノは、今じゃビターのチョコレートだ。
 もう殆ど生徒のいない教室に、何時までも甘いミルクの声援が残っている理由は分かってたつもりだった。けれど、待ち伏せなんていう可愛らしくも子供っぽい、ましてや一目見れれば幸せ、という彼女達の歳不相応な恋心を咎める気にもなれなくて、あたしは椅子から立ち上がり、使い慣れた鞄を肩に掛けた。教室の隅、といっても前の扉の近くに固まる二、三人の女の子達の前を横切って、あたしは扉に片手を付いて立っていたレンの隣に並んだ。

 「ごめん、待たせた?」
 「別に」
 「じゃ、行くか」

 可愛いげない返答を気にもせず、レンはさっさと歩き出す。女の子達の小さな溜息を背中に背負って、気が付かない程自然な動きであたしの手を取って。まるでそつないその態度に、ちくりと視界が歪んだのは睫毛のせいだろうか。
 あたしよりもう随分高くなってしまった背に、骨張った大きな手。
 かつては光を集めきらきらと光る金髪と、ふっくらとした白い頬に少年特有の凛々しさとでも言える表情を持ち合わせた天使のような少年は、あたしと瓜二つな弟は、今や見目麗しい青年へと成長していた。
 それでも昔の面影は残り、男というには華奢な身体に、柔らかな金髪と白い肌は今でも健在。けれど、やはり精悍な体つきに、ぐっと低くなった声では、あたしとはもはや似ても似つかない。少年少女だけが過ごせる不安定なモラトリアムからは、もうとっくに抜け出していた。あたしはまだ、ここにいるのに。

 「……レン、髪伸びた?」
 「そうか?」
 「切ればいいのに」
 「じゃあリンが切ってよ」
 「なんであたしが」

 レンに手を引かれて校舎を歩きながら、気付かれないように唇を噛んだ。言葉を交わせば交わす程、どうしてか開いた違いを見せ付けられる気がした。
 例えば白いリボンのカチューシャとか、わざわざ月一で美容院に言って整えてもらう髪とか。あたしはまだ、無造作に自分を纏める勇気は無いのに、レンはとっくにそれが様になってる。同じ歳の女の子達が、まるで憧れるようにレンを見る理由が、あたしには随分分かってしまうのだ。なのに、反対にレンは分からないようだけど。
 昔は同じ所にいたのに。
 肩を並べて同じ所に立って、お互いの事しか見えてなかった。『普通』に抗う事は楽じゃ無くて、手を繋いでおく事に必死で、格好付ける余裕なんて全然無かった。なのになんで、今はそんなに飄々としてるのよ。レンはちらりともこっちを振り向きもしないで歩き続ける。ゆらゆらと揺れる肩より長い金髪が、あたしのものとは随分違う気がした。

 「………ねぇ、」
 「ん?」
 「キスして」

 ぴたり、と、レンの足が止まった。自然と、手を引かれていたあたしの足を止める。

 「キスして。ここで、キスして」

 後ろ姿なんて、本当は見たくない。ここにいて欲しいのに。
 ごく自然に、流れるように口にしてしまった言葉に、ぼんやりと困ったなあ、と思った。しかし、それは後悔と呼ぶには余りに緩く、また慌てて取り消すつもりにもなれなかった。つまり、それは取り繕う間もなく真実だったのだ。今すぐに、ここでキスして欲しかった。いや、こっちを向いてくれれば、それで良かった。

 「……なに子供みたいな事言ってんの」

 はぁ、と呆れたような溜息を一つついて、まるで何も無かったように、再びレンは歩き出す。手を引く力はあたしよりも余りに力強いから、抗う間もなく足が勝手につられて動いた。訳も無く泣きたい衝動が体を襲う。
 泣いてしまいたい。泣き喚いて、駄々を捏て、行かないでよと叫んでしまいたい。
 けどそれをしないのは、あたしなりの努力だった。置いていかれまいと必死に追い縋って、背伸びして。レンの隣に立とうと必死だった。例えばヘッドホンも、愛読書の文豪達も、手首に忍ばせたベルガモットオレンジも。全部レンに似合うようになる為なのに。そんなにさっさと進んでしまうから、足が縺れて転びそう。なのに、あたしが転んで膝を擦りむいても、きっとレンは振り向いてくれないんだ。今みたいに、呆れた溜息一つ残して、あたしを置いていってしまう。

 「子供、じゃない」
 「だろ?俺らもういい歳なんだから」
 「でも、まだ大人じゃない、でしょ」

 少なくとも、あたしは、まだ。
 不意に喉が詰まって、慌てて息を吸い込んだ。このままじゃ、鳴咽になってしまいそうだから。
 例えばミク姉みたいに可愛かったら。ルカちゃんみたいに綺麗だったら。こんな不安に囚われなくても済んだのかもしれない。でも、あたしはまだこんなに子供で、可愛くも綺麗でもなくて。今にも行かないでよぅ、なんて縋り付いてしまいそうだ。
 泣かないと決めたのも、早く大人になろうとしたからなのに。早々と崩れた決意は虚しく瞼の裏から零れて行き、それを拾い集めようと必死に瞳を手の甲で抑えた。噛み締めた唇の隙間から、溢れてしまいそうな言葉に辟易する。行かないでよ、置いてかないで。

 「………あ、」

 するり、と、繋いでいた手が解けた。
 思わず足が止まる。掌だけで確かめていた存在を探すように、自然と顔が上がった。

 ほんの二、三秒。
 行き場を失った言葉が、目的すら無くしてしまうには十分過ぎるその時間、あたしはただすぐ目の前の、伏せられた睫毛の長さに見とれていた。
 やんわりと重なっていたそれは、すぐに離れた。ただ唇を触れさせるだけの、酷くあっさりとしたキス。昔、それもうんと幼い頃に繰り返したようなそれは、少し前には絶対に出来なかったキスだった。場所は誰もいない普通棟の校舎の中。廊下は夕焼けが窓ガラスを透過して、赤と橙が重なった柔らかい色に照らされていた。

 「……続きは家帰ってからね」

 ぽんぽん、と大きな手が、撫でるように軽く頭を叩く。それから再びあたしの手を取ると、レンはまた前に向き直った。大きな背中が夕日を浴びて、長い金髪がきらきらと光っているように見えた。
 どうして、と思った。どうして、なんで。子供っぽいとか、釣り合わないとか。必死で人が苦労して、不安に思ったりしているというのに。こんな些細な仕種一つで解消させるなんて。何様のつもりなのよ、むかつく。なのに、なんでこんなにも、あたしはあんたが大好きなのかしらね。訳分かんないわよもう。
 頬が熱い。これはきっと、夕日のせいじゃないだろう。真っ赤になってるであろう顔を背けて、せめて空いてる方の袖口で口元を押さえて隠すものの、たいした効果は期待出来ない。夕日に照らされた誰もいない廊下の上で、背中を向けているレンが微かに笑った気がした。









+++++

あなたしか見て無いのよ
今すぐに此処で
キスして
ねえ、




(『ここでキスして』 椎名林檎)







ほら見ろ自分でやってみようと思うからこういうことになるんだorz
昔はリンと同じ長さを保つ為に髪を伸ばしていたものの、高二くらいから切るのすら面倒になって伸ばしっぱなしっていう。もう少し大きくなると、リンたんは中二を脱します。でもレンは万年中二。でも格好付ける事は無くなったので、口調は柔らかくなってるっていうのを希望する。
実はレンもレンで、リンに置いて行かれまいと焦ってるっていうのは成長鏡音のテンプレですよね。
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