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*回る屍恋死者累々
乙女とは、恋をすれば仮面の一つや二人被るものです。仮面の他には猫という言い方をするかもしれません。けれどこの場合、気まぐれに動き回る愛くるしい猫よりも、無機質な仮面の方がしっくりくるでしょう。意中の人に振り向いてもらいたいが為に被る仮面、一枚。その人以外に被るお愛想仮面、二枚。ちょっぴり大胆な仮面に、自分を良いように偽って見せる仮面、その人が他の人と話してるだけで自然と浮き上がる醜い仮面。知らない内になんでかある我が儘な仮面。エトセトラ、エトセトラ。上げるだけで切りのない事、ああ、これで何枚目でしょう。分かりません。何でもありです。それが恋です。正しく戦争、ヘルメットとピストル片手に駆け抜けるハートの戦場。本当は、バレンタインなんていらないでしょう。あんな行事、激しい攻防線をより激化させるだけです。ただでさえ私達は、一進一退すればまだ良い方の戦場にいるのです。戦況は未だ不利だと歌う歌がありました。正しくその通り、恋はいつでも一方通行です。
身を守るものは、この仮面一つ。仮面の裏の裏の最後の一枚に隠された、臆病で脆い自分を隠す為に、私達はより強固な仮面を被らねばなりません。この戦場では、一体どこから流れ弾が飛んでくるか分からないのです。想い人の一言が、深く深く私の心臓を刔り、突き抜け、一つ目の仮面が撃ち破られます。一人目の私が死にました。あと何人の私が犠牲になれば、この恋を手に入れる事が出来るのでしょう。私は頭を抱えました。この恋が(恋!)普通の恋ならば良かったのです。ただの恋なら、犠牲になる私も数少なくて済んだでしょう。私がつまり言いたいのは、これは恋ではないのです。確かにぐみは、あの方をお慕い申しておりますが、これは恋でしょうか?私にはよく分かりません。ただ言えるのは、私は兄上のお気に召すようにと、様々な仮面を被り重ね、ばらばらに壊して行きました。この仮面の裏側の、本当の私は誰?それが、分からなくなる程に。多重に重ねた仮面の裏の、元の一人は一体どれなのか、私はよく分からなくなっている。オーバーヒートに流れ弾。ぱぁん。また一人死んだ。なのにどうして笑ってる?一人の体にこの仮面は、余りに数が多過ぎる。本当の私が分からなくなる前に、ねえ、お兄ちゃん。私を助けてください。兄上。あにうえ―――神威さん。あなたがすきです。とてもとてもすきです。私が初めて出会った人。初めて優しくしてくれた人。眩しいあなたに好かれていたいから、妹としてでもいいから、私は私なりに努力をしたつもりでした。そして日々だけが過ぎました。今日も私は、ショッキングピンクの心臓から、毒々しい恋の破片が溢れ出る戦場で、何人もの自分が死んで溶ける夢を見ました。ボーカロイドは夢を見ないのに。私は一人、ベッドの上で震えながら、頑丈な仮面をもう一つ被ります。その時の私は、夢の中の私達と同じように、笑っていました。目はちっとも笑っていなくて、むしろ恐怖に怯えてぎょろりと魚のようなのに、口元だけが笑っているのです。口元だけが吊り上がる、道化のような悍ましい仮面。重ねる度に、自分が分からなくなる。ただ、死んで行った私も、今から死に行く私も皆、同じ仮面を被った私達は、たった一人の人に向けて手を伸ばしている。あなたがすきです。振り向いてくれないあなたの為に、今日も一人、もしくは二人(あるいは沢山の)私が死んでいきます。でも皆笑ってます。最後に残る、もはや誰かも分からない元の私を、あなたはあいしてくれますか。それを知るのが怖いから、やっぱり私は、また仮面を手に取るのです。
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十面相(http://nico.ms/sm13304052)
*ピリオド
※軽い暴力表現あり
覚えているのは、衝撃だった。まるで、空と地面がひっくり返ったみたいな衝撃。視界を一面に星が飛び、その後ろでは炎が踊る。やがて、耳鳴りだけを残して静かになった。じんじんと、ほっぺたが熟れたような熱を持っている。気付くとあたしは、教室の床に座り込んで、ただ唖然とレンを見上げていた。唇の端が切れたのか、じくじく痛む。殴られたんだ、とようやく思い出した時、あたしの周りには様子を見ていた女の子達がわぁっと集まっていた。
「リンちゃん……っ!大丈夫?どうしよ、血が……!」
「ちょっと、鏡音君!いくらなんでも酷いよ、双子だからって」
へたり込んだあたしを、心配そうにいくつもの顔が覗き込む。けれど、あたしはそれらの眼差しを全て通り抜けて、ただ一点を見つめていた。あたしの前に立ち尽くし、あたしと同じような顔で、唖然としたまま動かないレンを。握られたままの拳は、震える事すらなく固まっている。余りに突然の出来事に、あたし達は二人とも、言葉を見失ってしまったみたいだった。
レンに、殴られた。それは、別に構わない。むしろ、あたし達の間では、よくある事だった。取っ組み合いや殴り合い、時にはどちらかが泣き出すまで、あたし達はよく喧嘩した。二人共、負けず嫌いだったから。
双子に生まれたあたし達は、お互いが最大のライバルだった。小さな頃から身長や、テストの点、腕相撲にどっちのケーキが大きいかまで、とにかくレンにだけは負けたくなかった。それで大喧嘩して、擦り傷だらけになりながら尚舌を出し合うあたし達を見て、母さんは呆れたようにいつも同じ事を言っていた。どっちでも良いじゃない、あなた達双子なんだから―――双子。そうだ。あたし達は双子だ。だからこそ、どっちでも良いなんてありえない。『おんなじくらい出来る』のでは、リンでもレンでもどちらでも良くなってしまう。ましてや、『同じなのに少しだけ劣っている』のでは、リンはいらない存在じゃないか。あたしは、それが嫌だった。だからあたしは、レンに負ける訳にはいかなかった。たとえどんな些細な事だって、レンにだけは負けてはいけなかった。
なのに。
あたしは今、レンに殴られて床にへたり込んでいる。殴られる事は今まで何度もあったけど、倒れ込んでしまったのは初めてだ。いつもなら、すぐ仕返しに一発殴り返している所なのに、崩れた膝に力は入らず、体全体が小刻みに震える始末だ。驚愕に見開いた瞳が、勝手に水を張って視界がぼやける。一体今回の喧嘩の原因がなんだったのか、もう覚えていない。どうでもいい事だった。レンって、こんなに力が強かったっけ。あたしは、こんなに弱い存在だったっけ。
クラスの女子に責め立てられて、レンはぎゅっと拳を握った。レンにとっても、きっとこれは驚くべき事だった。レンの前にいるあたしは、対等のライバルなんかじゃなくて、床に座り込んで、体を震わせて涙を流すような、か弱い少女なんだろう。そのまま、何も言わずに、くるりとあたしに背を向けるとレンは教室を出ていってしまう。サイテーだよ、と誰かの声が、その背中を追い掛ける。あたしは、何人かの友達に連れ添われて、保健室に向かい手当てを受けた。その間にも、溢れた水は嵩を増し、遂に氷嚢をほっぺたに押し付けながら、ぼろぼろとあたしは泣きじゃくっていた。周りの子達が慰めるように、酷いよね、最低だよね、とレンの悪口をまくし立てる。違う、と首を振る事は、出来なかった。あたしは、非道な行いに嘆いている訳でも、痛みに怯えている訳でもない。ただ、どうしようもなく、悲しかった。悔しかった。二人、『同じ』だったあの頃には、もう帰れないんだって、過ぎてから初めて知ってしまった。ぽっかりと空いた胸の穴に、周りが戸惑うのも気に止めず、あたしは声を上げて泣き続けた。
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*fiction
目が覚めると、まっしろな天井が見えました。正確には、それは『真っ白い天井』と『まっしろいぼやけた何か』であり、半分に割れてしまった視界に、わたしは思わず祈りをささげました。神様。空っぽの頭で、その存在に気付けた事は恐らく奇跡でしょう。
「リンっ……!」
体の上に掛かっていた白く重たい布を退かし、むくりと上体を起こしたわたしに、男の子が走り寄ってきました。まっしろだった視界に、横から色が入ります。ふわふわした金色の髪をきゅっと一つに縛ったその男の子は、わたしのほほに手を当てて、安心したように強張った顔を崩しました。よかった、とつぶやいた彼の瞳から、ぽろぽろと綺麗な雫が零れて、シーツをにぎりしめていたわたしの手の甲をぬらしました。
「ずっと目を覚まさないから、心配してたんだ、先生はどこも悪い所はないと言って、」
「……あなたはだれですか?」
雨水のようにつかえながらまくし立てた男の子は、わたしの発した言葉にすっと体を引いて、まじまじとわたしを見ました。やがて、言葉を失った唇を震わせて、絶望を映した瞳でもう一度リン、と呟きました。その声は、張り詰められた細い糸のように、はっきりと震えていました。
「……僕が分からないの?」
「残念ながら、なんにも分からないみたいです。あなたの事だけじゃなくて。リン、というのはわたしの名前ですか?じゃあ、あなたの名前は?」
ゆるゆると辺りを見回すと、白いベット、白いカーテンの付いた窓際で、花瓶に挿された百合の花が揺れている。白い窓。そして白いわたしの服。ここが病院であることは明らかであり、わたしが病人であることも明らかでした。病室にはわたし達以外誰もおらず、むしろ灰色のパーカーを羽織った彼の方が、ここでは異質に見えるようでした。
「そう…だよ。君の名前はリンだ。僕は、レン、だよ」
「レン、ふぅん……ねえ、レン、どうしてわたしはこんなところにいるの?どこか具合が悪いの?」
わたしの記憶がからっぽであるという事に、彼、レンは少なからずショックを受けたようで、しばらく驚きと悲しみに揺れた眼差しでわたしの輪郭をなぞっていました。けれど、わたしが質問をすれば、袖口で乱暴に涙を拭いながら、「君は事故に遭ったんだ」と教えてくれました。なるほど、とわたしは彼の言葉に納得し――だって今、わたしの体にある違和感と言えば、左の耳から右の耳までを斜めに覆う包帯くらいで、どうやらこれのせいで、わたしの視界は半分しかなく、おまけに病院で意識不明にまで陥ったのだと知る事ができました。それ以外に、わたしの体はいかなる痛みも訴えてはいなかったのです。
「じゃあ、レンとわたしはどういう関係なの?お母さんお父さんもいない病室に、レンだけいるのはどういうこと?」
「そ、れは……」
「あ、待ってわかったわ、わたしとあなたは恋人同士なのね!だからレンは、ずっとわたしと一緒にいてくれたんでしょう?」
わたしの言葉に、レンは大きく動揺したようでした。再び顔を強張らせ、しばらくわたしをじっと見つめた後、やがて神妙な面持ちで、加えてとてもぎこちなく、顎を引くように何度か頷きました。そうだよ、と彼が喉の潰れた蛙みたいに囁くので、わたしは嬉しくなって、腕を伸ばしてぎゅっとレンを抱きしめました。奇跡だわ、とわたしは叫びました。わたしはレンを、忘れてはいなかったのです。レンも、少し戸惑っていたようですが、やがて痛いくらいに抱きしめ返してくれました。わたしはしあわせな気持ちでレンの首に頭をもたせ掛けました。レンの腕の中はあたたかくて、とても懐かしい心地がします。わたしは、既に失くなった右目同様、左の瞼も下ろしました。レンが、背中を撫でる感触が、耳元で囁かれる愛の言葉が、わたしをしあわせにします。まるで、元々一つであったみたいだと、わたしは思いました。
「レン、わたしの目はどうなってるの?鏡が見たいわ」
「見る必要ないよ、そんなもの」
何の気無しにわたしがそう言うと、突然レンはわたしの肩を掴み、声を荒げたので、わたしはびっくりしてしまいました。すぐにレンは眉を下げ、ごめん、と謝りながら、もう一度わたしを抱きしめました。頭のうしろを、ゆっくりと撫でるレンの手の平を感じながら、わたしは彼の言葉を待ちました。
「鏡なんて、見なくていいんだ。リンには僕がいるから」
その少し後に、病室に本来あるはずの、例えば小さな洗面台の上に、鏡が無いことに気が付きました。恐らく、彼が割ってしまったのでしょう。小さな破片すら残さず壊された鏡は、ただ無機質な裏側だけを、静かにわたしに見せていました。レンの言葉に、もう一度わたしは目を閉じました。
「もう、何も知らなくていいよ、苦しまなくていい」
レンが、そっと、そっとわたしを撫でます。レンが言うなら、その通りなのでしょう。きっとこの先、一度たりとも彼はわたしに鏡を見せてはくれないのだろうなと、頭の中ではっきりと理解しました。けれど、それで良いのです。レンがわたしを抱きしめて、そう囁くのなら、喜んでわたしは不完全な箱庭に囚われましょうと、透明な蜘蛛の糸に搦め捕られましょうと、そう思いました。事故で失ったという右目が、それが奪い去ってしまった記憶が、わたしに甘やかな幸福をもたらしました。わたしは、レンのことを忘れませんでした。ああ、神様!神様、懺悔します、名前もしらないあなたへ、わたしの背負った罪についてを。
「しあわせになろう、リン」
神様。誓います、愛の言葉を。わたしは彼としあわせになります。ほかのひとなど誰もいない、ふたりだけの箱庭で。可哀相なレン。わたしに枷られた罪悪という名の愛の元で、彼は嘘を吐きました。鏡を見れば、一瞬で崩れる脆い恋です。もうそちらへは参れません。わたしもまた、参れません。神様、あなたはわたしの願いを叶えて下さいました。代わりにわたしは、この天使のような彼の涙を、あなたに捧げます。これを最後に、あなたから彼を奪うことをお許し下さい。憐れな彼を、もう二度と視界に入れることすらないように、お見捨てください。許されぬ旅路へ、たった二人で旅立つわたし達に、静かに罰を与えて下さい。
だって、あたしは覚えているのです。全ての背徳を奪う為、自ら右目に突き立てた、あのナイフの銀色を。
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*オーデコロン
※未完
朝、何事も無かったように下駄箱を開ければ、やはりそこには見慣れない不協和音とでも呼べるような一枚の紙切れが入っていた。まだ成長過程に入ったばかりで、男女どちらのものとも言えない細くしなやかに伸びる指先が、それを摘む。話に聞いた通りの事だ。予定調和の出来事に、別段驚きもしなかった。白い封筒の隅に、紫の小さな花が描かれているだけのシンプルな手紙からは、ほのかに甘いオレンジの香りがした。
「か、鏡音君!」
放課後、見慣れない筆跡で指定されていた教室に向かうと、そこには女子生徒が一人待っていた。長い茶髪を自然な流れで緩く巻き、あたかも自分は何もしていませんと言いたげな、下心を感じさせないギリギリのラインまできっちりと己を着飾った女は、恐らく自分がどうすれば望む物を手にする事が出来るのか、知っているのだろう。そうやって、自分も手にするつもりなのかと思えば、自然と唇に優しい笑みが浮かんだ。
その微笑みを違う何かと勘違いしたのか、女は来てくれて良かった、といった旨の言葉を紡ぎながら、恥じらいを込めた仕種で己の髪を掻き上げた。はにかんだ笑みは、確かに愛らしい。一瞬、彼女が一体誰なのか、分からなくなる程だった。けれど、その愛らしい仕種も男の前である事限定なのだと知っている以上、騙される事も無かった。
「手紙、読んだよ。驚いたけど」
ポケットに仕舞っていた手紙を取り出して、彼女の前に翳す。傷など付かないよう大切に保管して置いたそれを見て、女の瞳が一瞬勝利に光る。その光を確認して、蛇が獲物を丸呑みするような本性を仮面の裏に認めてから、相手が蕩けるような甘い笑みを浮かべて、その手紙を引き裂いた。
「あんた今時手紙とか送るんだね。何、ギャップってやつ?それで何人落として来たのか知らないけど、俺に使い回しが効くと思わないでくれる?」
「―――っ?え、か、かがみねく、」
「さっきから気安く名前呼んでんじゃねぇよ気色悪い。他人で済むなら甘んじてやるけどさぁ、それ以上踏み込むようなら容赦しないよ?明日から俺らに近付かないでね」
丁寧に、丁寧に手紙を破く。相変わらず顔には笑みを浮かべたままで、びりびりと丹念に紙を破いてしまうと、まるで砂埃を払うようにそれを床に落とした。普段、身を守る刺すら落として来てしまった薔薇の花びらのようにたおやかな少年の、突然豹変した態度と、それでも変わらない優しい笑み。吐き付けられた言葉の数々に、女の表情が強張る。それでもまだ、笑顔を浮かべようとしている滑稽な様子に偽りのない笑みが浮かんだ。破いた紙から漂う甘いオレンジのオーデコロンが、着色料のあざとさで指先に染み付く。嘘偽りない本心を、媚びてんじゃねえよという言葉に詰め込んで、レンは一人音を立てて教室の扉を閉めた。
* * *
「おかえり」
玄関の扉を開けてまず、聞き慣れた声が耳に響いた。扉を閉めて(勿論鍵までしっかりと)靴を脱ぐ。首元をきつく締め付けていたネクタイを解きながら、唇にはゆっくりと笑みが広がった。つい先程、教室で浮かべていたような残酷なそれでなく、ちょっとした悪戯がばれた無邪気な子供のような笑みを浮かべて、レンは顔を上げる。そこにいた、気怠げに腕を組んで壁に体を持たせかけ、まるで呆れたような眼差しを自分に投げ掛ける、もう一人の『レン』に。
「ただいま、レン。何か言いたい事は?」
「……完璧過ぎて気持ち悪いくらいだね、リン」
ネクタイを緩め、どうやら一日を通してずっと気になっていたらしい、高く一つに結わいていた髪を乱暴に解いて―――リンはうっすらと瞳を細めた、彼女らしい華やかな笑みを見せた。
朝学校に向かってから、一日を通して級友や教師だけに関わらず、自分とレンに携わる人間全てを騙しおおせたリンは、「あー疲れた!」と扉の向こうまでとはまるで違う、少女らしい無邪気な仕種で両腕を天に向けて伸びをする。ワックスで固めていたらしい髪を乱暴に掻き回すと、これですっきりと言わんばかりに満面の笑みを浮かべた。
初めから学生服は纏っておらず、シャツにジャージというラフな恰好をしたレンは、普段鏡の向こうに覗き込むような自分、瓜二つ、という言葉でもまだ足りない、『鏡音レン』そのものになってしまった双子の姉に、呆れた眼差しを向ける。それに対しても、リンはにこにこと笑うだけだった。リンの着ている学生服や鞄は、間違いなくレンの物で、大方勝手に持ち出したのであろう。お陰で一日を家の中で過ごす羽目になったレンは、それ以上何の苦言も零さずに、ただ溜息だけをついて壁に持たれていた背を離す。お疲れ様、と呟いて、リンに向かって手を伸ばす。リンは、嬉しそうにその手を取った。
「で、なんで今日は俺の服勝手に着てったの?」
「駄目だった?」
「別に駄目って事はないけど、リン、今日学校欠席扱いだよ」
「レンが代わりに行ってくれても良かったのに」
「そんな事急に言われてもさ…なんで昨日何も言わなかったの、今日なんかあった?」
「……別に。それよりねえ、レン」
呆れたように声を出すレンに、リンは小さく首を振った。その唇が、うすらと描いた笑みが薄い靄を湛えていた事を、リンより一歩先を歩く彼は知らない。ん?と何も後ろを振り向けば、リンは一度俯けた顔を上げて、無邪気な笑顔で笑ってみせた。
「オレンジの匂いって好き?」
肩に落ちる髪を指先に絡め、すっかり『リン』に戻った少女は、小首を傾げて愛らしく尋ねる。握り締めた指先を、離さないようにしっかりと絡ませると、リンはレンを見上げた。先程、あれだけ嫌がった女の媚態が、今ならば当然のように受け入れられる。男、殊に、自分の物であると理解しているそれの前では、少なくとも少女は少女でいられないものだ。あとは上手くやらなかった、まさか想い人と双子の姉を間違えるような失態を犯した(そしてそれにも気付かなかった)、彼女が悪い。
足を止めたリンにつられて、レンも足を止める。自分を見上げる姉を振り返り、レンもまた不思議そうに首を傾げた。
「オレンジが好きなのはリンだろ?」
『鏡音君はオレンジの香りが好き』
噂の仕掛けは、こんなにも単純だった。「今日もなんかオレンジっぽい匂いするし」と続けたレンに、満足そうな笑みを見せ、リンはその隣に並ぶ。腕を絡ませ抱き着けば、二人の体格の差は明らかだった。いくら背丈が大差ないと言っても、成長を始めた少年の腕と、少女の細腕では余りに違いがあり過ぎる。少し骨張ってきた掌を撫で、「このオレンジ、失敗だったの」とリンは呟いた。
「全然良い匂いじゃないし、あたし大っ嫌いだわ。レンはそう思わない?」
「そう?あんまよく分かんないけど、リンがそうならそうでいいよ」
「ありがと。今度、新しいの買いに行こうよ。一緒に選んでくれる?」
ねだるように睫毛を瞬かせてレンを見上げると、レンは仕方ないな、とだけ言って、ようやく小さく笑った。自分だけしか知らない、柔らかくはにかむような笑みに、またリンは満足そうに微笑んだ。笑顔の中の眼差しが、二人を縛る甘い鎖だ。そこに、軽々しく踏み込んでこようとする人間なんて、許せる筈も無い。
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*危険な愛
※首絞め注意
「レン、愛してるわ」
歌うみたいに、そう繰り返した。いや、違う。あたし達の言葉は、歌だ。だから、みたい、じゃない。これは、歌。愛の歌。ヒトの為じゃなく、ヒトに与えられたものでもなく、あたしが自分の意志で歌う、大切な大切な歌だった。
あたしの歌に合わせるように、レンは薄い胸を波立たせて、げほげほと咳込んだ。華奢な首筋に絡めていた、目に痛い程のビビッドイエローを纏わり付かせた指をすっと離せば、そこには鮮やかな傷が浮かび上がっていた。綺麗。真っ白い、お人形みたいに滑らかな肌に、それはよく似合ってた。青黒い、暴力的な愛の証。それにそっくり。嬉しくて、思わずにこりと唇の端が釣り上がる。髪を留めていたピンは、どこかに行ってしまったみたい。なんど頭を振っても落ちてくる前髪が、あたしの右目からレンを奪う。腹立たしくて、同時になんだか可笑しくて、くすくすと笑えば手首を掴むレンの手が、ぴくりと動いた。その指には、あたしと同じビビッドイエロー。諌めるように乗せられた爪は、どれだけ指に力を入れても、あたしの肌に刺さる事は無かった。
「愛してるわ」
「―――っ、か、ぁ」
もう一度、指先に力を込める。だらりと投げ出されていた手が、空を掻いた。一体、何を探しているの?ここにはあたし達しかいないのに。初めから、あたし達しかいないのに。前髪の隙間からちらりと覗くレンの瞳は、空っぽの硝子玉みたいに綺麗だった。そこから零れる透明な液体は、作りものだってあたし知ってる。だって、レンがあたしを拒む筈ないもの。あたし達は、二人でひとつ。それってちっともしあわせな事じゃない。どちらかでも欠けてれば、あたし達は不完全だ。だから、一緒にいなきゃならない。あたし達は、ひとつでなくっちゃならない。
なのに、この喉の奥のものが、邪魔をする。
「あいしてるの、ねえ、レン」
ぎりぎりと、レンの首を絞める。苦しげな吐息を吐き出す唇が、酸素を求める舌が、あたしをぞくぞくとした恍惚に導く。苦痛に歪んだ顔が可愛い。華奢な首筋(それでもあたしよりはずっとしっかりした)、薄い胸(あたしよりずっと逞しい)が、あたしのものでなくちゃいけない。白い肌が綺麗。消えない傷を、どこまでも深く刻み込まなけば。あたし達が、離れ離れにならないように。永遠をゆっくりと押し当てる。あいしてる、と呟けば、空を掻いていた左手が、そっと、あたしの前髪を掴んだ。まるで諌めるみたいに、あたしの両目にレンが映る。だから、指先にぎゅっと力を込めた。苦痛に見開く綺麗な瞳が、ひくりと震える喉元が、堪らなく愛おしくて、憎らしいから、つい苦しめたくなっちゃうの。
「あいしてる」
意味も知らないその言葉を、馬鹿みたいに繰り返す。やがて、レンの腕が落ちてから、絞めていた首を離した。レンは微かに息を吸った。ああ、生きてる、生きてる!憎らしいくらい愛おしい生が、今日もまだこの手にあった。薄く開いた唇に、触れるだけのキスが欲しい。レンは、掠れた言葉をいくつか吐き出して、やがて深く息を吐いた。そして、随分枯れてしまった声で、静かに歌った。
「………知ってる」
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まるで殺意と裏表
*失楽園
「寂しい色だね、黒っていうのは」
憂いを帯びた吐息に乗せて、『それ』はそう呟いた。『それ』は、つい今さっき、自身で寂しい、と称した色に包まれて、ただ物憂げに天を仰いでいた。その視線の先に、鮮やかに光り輝く空なんてものはない。あるのはただ、黒。何処までも永遠に続く深い闇だけが、その場に取り残された二人を包んでいた。
見えない空を仰ぎ見て、やがてゆっくりとした動作で首を傾ける。闇の中でうずくまるもう一つの『それ』を見つめた。
それは、黒に包まれた存在とはまるで真逆に、暗闇の中に薄ぼんやりと浮かび上がる白だった。けれど、軽やかに空を仰ぐ黒色と違い、地面に付したままぴくりともしない。まるで、蕩けて消え失せる直前の蝋燭の燭のような、酷く頼りない白だった。かつての汚れない純白は、今や至る所を黒に蝕まれ、漆黒よりも色濃い罪に溺れている。自身が放つ弱々しい光で、辛うじて黒に呑まれる事は無かったが、それも時間の問題だろう。時間は永遠に近い程ある。対して、か細い白は、今にも掻き消えてしまいそうな程に儚い。
黒色の鎖に搦め捕られた、まだ幼さの残る少女を模したその身体は、起き上がる事もせずに地面にうずくまり、ただ苦しげな呼吸を繰り返す事しかしなかった。汚れた契約の代償は、彼女の身体には重過ぎる。それが、汚れの無い清らかな天上の住人であったなら、汚れた闇は尚更彼女を蝕むのであろう。
かつて天使と呼ばれた少女が、その象徴であった白い羽根までを汚して、深い闇の中で苦しみ悶える姿はひたすらに憐れであった。そしてそれを、黒に溶け込んだ『少年』は憐れむでもなくまた喜ぶでもなく、ただ静かに見詰めていた。
「他のどの色とも混じり合え無い。近付くものを飲み込む事しか出来ない黒は、永遠に孤独で居続けるしかないんだろうね。相手を傷付けたくないから遠ざかる。愛しているから近付けない。
こんな寂しい色を、どうして君は望んだって言うのかな」
あたかもただの独り言であるかのように、感慨深く『それ』は話し続けた。少女は何も言わない。いや、言えないのだろう。彼女を蝕む黒の前に、もはや指先一つ動かす事すら、彼女には億劫だった。身体が重たい。まるで、世界中の全ての罰を背負ったような重さが、彼女の身体の全ての自由を奪っていた。それでも少女は、聞いていなかった訳では無い。目の前で、己と違い軽々と動き回っては、彼女に呼び掛けるその声を。
深い闇の中で、それに溶け込む事の無い黒を纏った不可解な少年。その姿を、霞んだ視界の中に辛うじて入れて、悍ましさに震える位の事は、身体の自由を奪われた彼女にも出来た。少女と対なる形を取ったような『それ』は、己に向けられた畏怖と嫌悪の眼差しに、ただ困ったような笑みを浮かべた。
「僕はずっと此処にいたから、君の痛みはよく分からない。でも、苦しいだろうね。黒が飲み込む事しか出来ないなら、白は溶け込む事しか出来ないんだ。一度黒を選んでしまった君は、もう元に戻る事は出来ない。此処でゆっくりと、黒に飲み込まれる事しか出来ないよ」
動く事すら出来ない天使に、それはひらりと手を広げ、どこまでも続く黒を示した。それは、彼女の罪だった。人を愛した天使。人を欲した天使。汚れを知らない純白の身体で、汚れそのものの中に落ちてしまった彼女は、そこでもう一つの罪を知った。魔女の忠告を破った代償。彼女が清らかな羽根を捨てて手に入れた、もう一つの身体。人の肉体。
「僕と同じだね、リン」
天使と同じ顔立ちをした少年は、そうして少しだけ悲しげな笑みを浮かべた。
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秘蜜http://www.nicovideo.jp/watch/sm10282629
*refrain
かみさま、僕は、罪を犯しました。僕は、人を愛しました。愛してはいけない人を、愛しました。愛しました。たしかに、僕は、彼女をあいしました。
彼女は、僕の双子の姉でした。血の繋がりは、痛い程に分かっているつもりです。僕にとって、それは、なによりもいとおしいものでした。彼女が他人であったなら、僕はこれ程までに狂おしく、彼女を愛さなかったでしょう。ひょっとしたら僕は、彼女でなく、双子の片割れというその存在を、愛したのかも知れません。血生臭い赤い糸を愛したのか、それとも彼女自身を愛したのか、僕にはよくわかりませんでした。けれど一つ分かるのは、母の胎内で、僕らは共にあり、そして僕の遺伝子の片割れから産まれたのは彼女だったのです。
かみさま、僕は、罪を犯しました。けれど、罰を受ければ手にする事の出来る果実なら、僕は喜んでそれを受けましょう。だから神様、どうか僕に、罰をください。彼女をください。僕は、彼女を、僕だけの彼女にしたいのです。
僕らは生まれながらにして、既に決まった人生を歩んでいました。僕は男児として家を継ぎ、彼女は顔も知らない誰かの所へ、花嫁衣装と共に売られていくと決まっていました。幸か不幸か僕は人より体が弱く、彼女の婚約者とやらと顔を合わせずに済みました。また、身体を蝕む弱い病魔を言い訳に、彼女を独り占め出来る時間も多くありました。そうして僕は、少しずつ、少しずつ彼女に対する想いを育み、慈しむようにそっと育てて花を咲かせました。誰にも知られる事のない、誰にも踏み荒らされる事もない、僕の心臓の内側の花園で。僕は彼女をあいしていました。
「姉さん」
「なぁに、レン」
花瓶に花を活ける彼女を見あげ、僕はよくどうしようもない苛立ちに苛まれました。病弱な身体は相も変わらず布団の中で微熱に浮かされ、普段は暖かい彼女の手は、ひんやりと冷たいものでした。僕が呼ぶと、彼女はこちらを振り向きました。するりと指先が額をなぞり、汗で湿った髪を掻き上げた時、指から伝わる冷たさが僕の心臓にまで流れ着きました。僕は咄嗟にぎゅっと目をつむり、その蛇が、僕の楽園に牙を立てないよう体を硬くしました。額に触れた冷たさは、一瞬僕の浮かされた熱の合間を滑り込み、やがて消えました。あとにはほてった体と、薄く水の貼った視界の中で、子供らしからぬ笑みを浮かべた彼女がいました。
こうして部屋に隔離される事の多い僕の代わりに、彼女は世界の裏側までも見てしまったのではないかというくらい、その硝子のような瞳を七色に反射させています。彼女は世界の様々な汚い所、窮屈な所、薄暗い所をこれでもかと滲ませた不健康なほど白い肌をしていたお陰で、歳不相応に大人びた所を持っていました。僕は、いつだってその背中に、置いていかれるばかりでした。僕がまだ、押し入れの隙間に何かいるのだと真夜中に恐怖していた頃、彼女は既に僕を宥め透かして眠らせる術を知っていたのです。
「姉さんは、意地悪だ」
「あら、どうして?」
「姉さんは、そうやって、僕を置いてってしまうんでしょう」
布団の中は、暑苦しい。重たい毛布を顔まで引き上げて、くぐもった声で唇を尖らせた僕に、彼女は眉を押し下げて仕方ないとでも言う風に笑いました。優しさと呆れの入り交じった、僕には出来ない笑顔でした。
「仕方ないわ」
僅かに布団から出ているだけだった僕の髪を、細い指先でゆったりと梳きながら、彼女は大人びた声で、まるで大人のような事を言いました。優しく、諭すような声でした。それが、諦めろ、受け入れろ、と僕に暗に告げるのです。ああ、神様!彼女にまで拒絶され、僕は何処へ向かえば良かったのでしょう。彼女の言う通り、諦めれば良かったのでしょうか。そうすれば、彼女はあんな真似をする事もなく、僕は何れ訪れたでろう真っさらな白いドレスに身を包んだ彼女に、諦めた笑顔で「おめでとう」を伝える事が出来たのでしょうか。しかし、ああ、そんな未来を生きるくらいなら、僕は今の罰を、彼女が背負った痛みと孤独を、嘆かわしいとは思いません、むしろ。僕は、自分勝手な人間です。僕こそが、罰を受けるべきだったのです。彼女の苦しみが、僕と彼女を深く深く離れられないくらいに結び付ける傷が、喜ばしくて堪らないのです。外ならぬ、僕が誰よりも愛し幸福を望んだ筈の、彼女の苦痛が、僕は。
その数日後、僕は病院の廊下を走っていました。彼女が、目を覚ました!もう二度と見れないあの鮮やかで美しい空色の右目に、僕はほんの少しの罪悪感を感じながら、彼女の元に走っていました。
あの日、襖を開いた先の部屋で、彼女はほっそりとした白い体を横たえて、ぴくりとも動きませんでした。ぐったりとした体を抱き起こすと、畳が吸い込んだ血をぐしゅりと吐き出し、彼女の閉じた瞼から赤い涙がゆっくりと伝い落ちました。その手に握られた、小さな紙切れに書かれた言葉に、僕は悲鳴を上げました。その手紙だけは、誰にも見せる事はしませんでした。僕が、彼女を苦しめた。僕が!全てを受け入れ、花が水を吸うように抗わず、僕を置いて一人だけ成長してしまった姉の絶望に、僕は気付く事が出来ませんでした。姉が、何れ誰かの物になる我が身を嘆いて。ああ、僕を、双子の弟である僕を、あいしているのだと。
『あいしています。だから、あいしてください。』
『この記憶は捨てに行きます。わたしからあなたを奪う忌まわしいものを捨てて、またあなたを愛しにきます。』
『だから、どうか、また愛して下さい。全てを捨てた私を、また愛して下さい。』
『御免ね、レン』
来世は信じない、と彼女は言っていました。共に死への旅路へ着いたとて、同じ蓮の花へ辿り着くとは限らないと、それはとても恐ろしいと。だから、命を絶つ事はしなかったのでしょう。僕は、走っていました。僕の事を忘れ、嘘ばかりの記憶を無邪気に飲み込んでいく、彼女でない彼女の元へ。何も映さない空色の瞳が、きっと同じ輝きで僕を見つめてくれるだろうと確信して、僕は扉を開きます。僕のリンが、痛ましい包帯に包まれた僕のリンが、そこで無邪気に笑っていました。
リンに向かって笑みを作り、同時に心の中で姉に向けて小さく別れを告げると、割れた鏡がちくりと僕の指を刺しました。それはまるで、ほっそりとした銀色のナイフのように、僕の赤く膨れた心臓に、一筋の雫を滴らせるのです。
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